電話が鳴る音は、だいたい決まったタイミングでは鳴りません。
忙しいから鳴るわけでも、暇だから鳴るわけでもない。
誰かが手を空けた瞬間を見計らうように、少し遅れて鳴ることもあります。
事務所にいる人が、書類に目を落としたまま、ほんの一瞬、顔を上げる。
隣の部屋では、誰かが利用者の話を聞いている。その空気は、電話の音には関係なく、それぞれの場所で続いています。
電話が多い施設だから、評価が高いとは限りません。
むしろ、用件が一つにまとまっていないことが、そのまま電話の数になっている場合もあります。
確認の電話。
相談の途中の電話。
「念のため」の電話。
どれも間違いではありませんが、一つひとつは、誰かの判断を少しずつ止めます。
電話が鳴るたびに、誰が出るかは決まっていないことが多い。
役割として決まっていなくても、なんとなく近い人、なんとなく空いていそうな人が、その場で選ばれます。
その「なんとなく」の積み重ねが、電話が鳴り続けているように感じさせることもあります。
電話に出るという行為は、何かを始めることではなく、何かを途中で置くことに近い。
さっきまで考えていたことや、話しかけようとしていた言葉が、そのまま机の上に残ります。
それでも電話は鳴ります。
理由を説明する前に、音だけが先に届きます。
やかんが沸いたときの音のように、こちらの準備とは関係なく、「今だ」と知らせてくる。
その音が、孤独なのか、必要なのか、それは鳴っている間には分かりません。
福祉施設で電話が鳴り続ける理由は、特別な事情があるからではなく、日々のやり取りが、少しずつ外にはみ出しているからかもしれません。
それを問題だと決める前に、ただ一度、その音が鳴った瞬間の空気を思い出してみるだけでいいのだと思います。